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東京地方裁判所 昭和35年(ワ)9033号 判決 1969年5月09日

原告 有限会社むらさき

被告 株式会社太陽銀行

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

当事者の申立、主張および立証は別紙記載のとおりである。

理由

一、(原告の手形振出から取引停止処分に至る経過)

当事者間に争いなき事実、成立に争いのない甲第二号証、ならびに原告代表者尋問の結果によれば、次の事実が認められる。

(一)  昭和三二年五月七日原告会社の代表取締役渋谷政秀は、額面金五〇、〇〇〇円、振出日同日、支払期日同年七月六日、支払地振出地ともに東京杉並区、振出人原告会社、受取人高橋唯一なる約束手形一通(以下本件手形という)を振出したが、実は、当時原告会社では被告銀行(当時の商号は株式会社日本相互銀行であつた)吉祥寺支店との間で当座預金取引をしていたので、本件手形の支払地欄には「東京都武蔵野市」と、支払場所の欄には「日本相互銀行吉祥寺支店」と記載すべきところを、たまたま当時同人の実子渋谷敏が訴外株式会社東京相互銀行荻窪支店と取引していたので、その類似の商号にまどわされて、本件手形の支払地欄には「東京都杉並区」と、支払場所の欄には「東京都杉並区荻窪、日本相互銀行荻窪支店」と記載してしまつたものであつた。しかしながら、支払地である東京都杉並区内には、被告日本相互銀行の支店として「西荻窪支店」が実在するけれども、支払場所として記載された「荻窪支店」は実在しなかつた。

(二)  本件手形の受取人訴外高橋唯一から取立委任の趣旨で裏書を受けた訴外大和銀行は、同年七月六日本件手形を訴外社団法人東京銀行協会の経営する東京手形交換所において、被告銀行に対し手形交換に付し、被告銀行交換方は交換不適格手形として返還せずにこれを受入れ、同交換所所定の手続を経て、同日本件手形を被告銀行西荻窪支店に回付した。

(三)  右回付を受けた被告銀行西荻窪支店係員も、本件手形が実在しない銀行支店を支払担当者として指定したものとは解さず、西荻窪支店が支払担当者として表示されているものとして取扱い、原告会社と同支店との銀行取引がないことから、「取引なし」との不渡返還事由を付して、本件手形を取立銀行である大和銀行に返還した。

(四)  右の「取引なし」という不渡返還事由は、東京手形交換所交換規則(以下単に交換規則という)第二一条第一項の不渡届をなすべき事由、すなわち支払義務者の信用に関する事由であつたので、取立銀行である大和銀行は右の条項に従いただちに東京手形交換所に本件手形の不渡届を提出し、同交換所は交換規則第二一条第二項に基づき、同年七月九日支払義務者たる原告会社に対して取引停止処分をなした。

二、(交換所における交換手続および支店への回付の際の過失の有無)

原告は本件手形は実在しない銀行支店を支払担当者としたものであるから、交換所で取立銀行から配布を受けた被告銀行交換方は、ただちに本件手形を交換不適格手形として返還すべきであり、また交換所で返還しなかつた場合にも、支店回付の段階で発見して取立銀行に返還すべきであつたと主張し、これらの処置をとらず被告銀行西荻窪支店に回付した被告銀行交換方および支店回付に携つた係員には過失があると主張する。

そこで右の点について検討してみると、鑑定人上原聡の尋問の結果によれば、一般の手形交換実務の取扱いでは、手形交換の結果最終的に手形の回付を受けた支払銀行支店において、その支店を支払担当者とした手形か否かを判断することとなつているので、その前段階である手形交換所での交換手続および支払銀行母店へ持帰つてからの支店への回付の手続では、取立銀行からの取立依頼に応じる趣旨で、一見明白に実在しない支店を支払担当者としたことが看取される場合を除き、手形を受入れ、また類似名称の支店に回付する取扱いをしていることが認められるのであつて、この取扱いは相当と認められる。しかして本件手形の場合、後述のとおり被告銀行西荻窪支店を支払担当者としたものと解しうるのであつて、一見明白に実在しない支店を支払担当者としたものではないこと勿論であるから、本件手形を交換手形として受入れ西荻窪支店に回付した行為には過失はなく、原告の前記の主張は採用できない。

三、(西荻窪支店係員の過失の有無)

次に原告は本件手形は被告銀行西荻窪支店を支払担当者としたものではないから、本件手形の回付を受けた同支店係員は、これを実在しない銀行支店を支払担当者とした交換不適格手形として返還すべきであつたのに、「取引なし」という原告の信用に関する不渡事由を付して返還した過失があると主張するので、この点につき検討を加える。

成立に争いのない乙第四号証によると、東京手形交換所における交換手続では、支払銀行から不渡手形の返還を受けた取立銀行は、不渡の事由が「支払義務者の信用に関しないもの」と認めた場合を除き、所定の時限までに交換所に不渡の届出をなすべきものと定められてあり(交換規則第二一条第一項)、この場合交換所では原則として支払義務者に対する取引停止処分をなす定めとなつていること(交換規則第二一条第二項)が認められるところ、鑑定人上原聡の尋問の結果によれば、支払銀行が手形の返還に当り付記する不渡の事由は、取立銀行において不渡届を提出すべきか否かを決定する際、重要な資料となることが認められるので、結局支払銀行の係員が「支払義務者の信用に関する」不渡事由を付記するか否かが、取引停止処分に至るか否かの要めとなるものといつてよい。

ところで右のように「支払義務者の信用に関する」不渡事由というと、過失によつて支払担当者たる銀行支店名を誤記した場合など、支払義務者の支払の意思あるいは能力とは関係のない事由で不渡となつた場合は含まれないのかの如くであるが、一般の取引社会では手形の文言とその解釈のみを基盤として、手形に対する信用が生れるのであるから、たとえ誤記にせよ手形金が支払われない場合には右の信用は害せられるのであり、しかも手形交換の手続は迅速に処理しなければならないから、その手続中で右の事態が支払義務者の故意、すなわちその者の「信用に関する」事由で起つたのか、それとも過失によつて生じたのかを調査する余裕はなく、また他方で過失により誤記したにせよ、手形の信用を害したのは当の支払義務者であるわけでもあるから、手形交換の制度として、銀行取引から右のように信用に疑いある者を排除する必要があり、それは肯認せられるべきものと考えられる。

以上のような観点と前記鑑定人尋問の結果を参考にして考えてみると、本件の場合、原告のいう支店名誤記の事実は、被告銀行西荻窪支店に知らされていなかつた(原告代表者尋問の結果により認める)のであるから、結局同支店係員が本件手形に「取引なし」という「信用に関する」不渡事由を付記して返還した処置の当否は、本件手形の解釈として、同支店を支払担当者としたものと解せられるか否かにかかるものというべきである。

ところで手形行為はその文言性から手形面の記載のみによりその意味内容を解釈すべきであるが、必らずしも表現された文字に拘泥すべきものではなく、一般の社会通念に従い合理的に判断すれば足りるものであつて、その社会通念の一つとして実在する銀行支店と手形面に記載された銀行支店の名称の類似性、および場所的近接性を考慮に入れることは、勿論許されねばならない。しかして本件手形に記載された支払担当者は「日本相互銀行荻窪支店」であつて、かかる名称の銀行支店は存在しなかつたが、現実には右の記載と極めて類似した「日本相互銀行西荻窪支店」が存在し、またその所在地は被告の自陳するところによると「東京都杉並区西荻窪」であつて、本件手形の支払場所欄に記載されてある「東京都杉並区荻窪」に近接した場所にあつたのであるから、本件手形の解釈としては、「日本相互銀行西荻窪支店」を支払担当者としたものと解しうるのであり、被告銀行西荻窪支店の係員がかかる解釈の下に「取引なし」との事由を付して返還した処置は、相当であつて過失はないものということができる。以上のとおりであつて、原告のこの点に関する主張は採用できない。

四、(取引停止処分以後の原被告間の折衝)

成立に争いのない乙第三号証、証人内藤義人、同秋山規矩の各証言とこれにより真正に成立したものと認められる乙第二号証、原告代表者本人尋問の結果とこれにより真正に成立したものと認められる甲第五号証の一、五、六、八および九、ならびに証人田辺勝保(第一、二回)および同道脇勝久の各証言によれば、次の事実が認められ、右の原告代表者本人尋問の結果中この認定に反する部分は措信できず、他にこの認定を左右すべき証拠はない。

(一)  本件手形の満期日である昭和三二年七月六日より四、五日経過した頃、原告会社代表者渋谷政秀は手形所持人高橋から本件手形の不渡を知らされ、同人に手形金を支払つて本件手形の返還を受けたうえ、不渡返還をした被告銀行西荻窪支店および取引銀行の同銀行吉祥寺支店に使用人である訴外松田をつかわし、被告銀行の措置を不当として取引停止処分の解消方を求めたが、西荻窪支店係員は不渡返還をしたのは同支店の過失ではないとしてこれを拒わり、吉祥寺支店係員は本件手形が同支店に呈示されたものでないから責任はないとして、これまた拒絶した。

(二)  そこで渋谷政秀は同年七月末頃知人の銀行員から取引停止処分の解除請求手続の教示を受け、同年八月初め頃吉祥寺支店を訪問し、当時の支店長であつた訴外田辺勝保に面会して解除手続を行うよう求めたが、当時原告会社は同支店から総額金一、五〇〇、〇〇〇円の貸付を受け、これを月賦で返済することになつていたのに、その一部の返済を滞らせており、また本件手形の不渡が発生する前にも当座預金の決済資金を不足させ、吉祥寺支店では手形、小切手の決済時限を過ぎてまで、原告会社からの入金を待つていたこともあつたので、田辺は原告会社の信用を回復させるべきではないと考え、これらの事実を渋谷政秀に話して、原告会社の依頼を拒絶した。

(三)  かくて取引停止処分の解除が行われないまま経過していたところ、翌三三年五月七日頃、前記の原告会社の借入金が金七〇〇、〇〇〇円余未払となつたため、被告銀行よりその支払を督促したことを契機に、借入金の返済とともに取引停止処分解除につき話合がなされ、同月二四日原告会社は借入残額全部の支払を確約するとともに、被告銀行も解除請求の手続を行う旨約束した。

(四)  そこで被告銀行では解除請求の準備として、東京手形交換所の交換部次長に相談したところ、本件手形の不渡の後、原告会社では代表取締役の名前を渋谷政秀から同人の妻渋谷信子にかえ手形小切手類を振出しており、昭和三三年三月八日以後数回不渡届が出され、そのうちの一部は徹回されていないことが発見されたので、被告銀行の申請で本件手形につきなされた取引停止処分が解除されても、すぐさま右の不渡届により再び取引停止処分に附されることとなるので、解除請求をなすこともさたやみとなつた。

五、(取引停止処分取消請求懈怠の有無)

前掲乙第四号証によれば、交換規則第二四条第一項には、取引停止処分を受けた者の救済方法として、「取引停止の原因となりたる手形の不渡若くはその取引停止に至るまでの手続が関係銀行の錯誤に因りし場合又は手形の偽造変造等に基きし場合に於ては、当該関係銀行は取引停止処分の通知後一〇日以内に当交換所にその事情を具し取引停止処分の取消を請求することを得」と定めてあることが認められる。そこで右取消請求の要件たる「関係銀行の錯誤」の意味内容を検討すると、前掲乙第四号証により認められる交換規則第二七条によれば、右第二四条第一項に規定された「銀行の錯誤に原因する取引停止処分」がなされ、取消請求により右の取引停止処分が取消されたときは、右銀行から過怠金として金一、〇〇〇円を徴収することと定められてあることが認められ、この事実に前述の交換規則第二四条第一項の文言および前記鑑定人尋問の結果を併せて考えると、「関係銀行の錯誤」とは、手形交換手続上関係銀行に要求される注意義務を怠つたため、取引停止処分がなされた場合に限られ、前述の支店名誤記の場合のように、右のような銀行の不注意はなかつたが、振出人の不注意のために結果的に資力などとは関係のない事由で取引停止処分に処せられた場合は、かかる事情が後に関係銀行に判明した場合であつても、これに含まれないものと解せられる。

しかして前記認定のとおり、被告銀行係員には交換手続上要求される注意義務を怠つた過失は認められないから、被告銀行において原告会社に対してなされた取引停止処分の取消方を請求すべき義務はなく、この点に関する原告の主張は採用できない。

六、(取引停止処分解除請求懈怠の有無)

前掲乙第四号証によれば、交換規則第二三条第一項には、「取引を停止せられたる者が著しく信用を回復したりと認むべき事由あるとき又は相当の理由あるときは停止期間中と雖も社員銀行は当交換所にその事情を具し取引停止解除の請求をなすことを得」と定められてあることが認められる。ところで取引停止処分は、交換所加盟の全社員銀行に対し処分を受けた者との銀行取引をしないという不作為義務を課するものであつて(交換規則第二二条第一項)、処分を受けた者にとつてはその営業の死命を制せられる程の実際上の効果を持つのであるが、前述のとおり取引停止に至る手続は、手形の不渡という事態によつて生じた支払義務者の信用に対する一応の疑いを根拠に進められるのであるから、その疑いが解消されるに至つた場合には、すでになされた処分を解除する方途を定め、これを手形交換の制度上保障すべきことはいうまでもない。前述の解除請求の制度は、まさに右の目的のために設けられたものと考えられるところ、その条項を検討してみると、解除請求をなすべきか否かの認定は、第一次的に解除請求方の依頼を受けた社員銀行に委ねられており、その認定如何によつては解除さるべきものも解除されないという不当な結果が生ずるおそれがあるが、他方で解除請求をなしうる資格を取消請求の場合の如く関係銀行のみに限定せず、交換所加盟の全ての社員銀行に認め、特定の銀行の恣意的判断により取引停止処分が不当に続行されることのないよう配慮されており、一の銀行で拒絶されても他の銀行を通ずることにより、処分を受けた者が広く解除を求めうる途を開いているものと認められる。以上のようにみてくると、処分を受けた者から解除請求方を依頼された銀行は、その依頼が正当である場合にはなるべくこれに応じて請求をなすのが相当であるが、たまたま処分を受けた者から依頼されたというだけで、法律上その銀行に解除請求をなすべき義務があるとはいえずまたこれを拒絶したことを違法として、不法行為の責任を負うべきものと解するのは困難という他はない。

もつとも原告代表者尋問の結果によれば、原告会社が被告銀行以外の社員銀行を通じて解除請求をなす際には、手形交換所に提出すべき添附書類として、関係銀行の同意書が必要であり、被告銀行が同意書の作成を拒めば、解除請求は不可能となることが認められるので、かりに被告銀行がかかる地位にあることを奇貨として、不当に同意書の作成を拒んだとすれば、不法行為の責任を負うべきものと解せられるが、前記認定の原被告間の折衝経過からみると、原告代表者は被告から解除請求をなすことを拒絶された後、他銀行を通じての解除請求の方法により取引停止処分を解消する方法をとるかわりに、自己の妻を代表者として他の銀行との間に当座取引を行い、手形取引の必要をまかなつていたためか、被告銀行に対して同意書を提出するよう求めた形跡が認められないので、この点においても被告銀行の責任を問いうるまでには至つてなかつたものと考えられる。

以上のとおりであるから、被告銀行に取消請求又は解除請求をなすべき義務あることを前提とする原告の主張は採用できない。

七、(結論)

よつてその余の点を判断するまでもなく原告の請求は失当であつて理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 室伏壮一郎 牧山市治 浅生重機)

(別紙)

当事者の申立、主張および立証<省略>

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